ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第一楽章 ヴァイオリンの歴史


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その9) 日本へのヴァイオリン伝来期

<日本でのヴァイオリン製作状況(その1)>

 日本人が初めて西洋の音楽に接したのは、1549年で、来日したフランシスコ・ザビエルによって キリスト教音楽文化が日本へ持ち込まれ事に因るものである。その際当然の事ながら若干の楽器が 持ち込まれている。
 イエズス会の報告書によると、織田信長の前でクラヴォとヴィオラ(ヴィオール?)を弾いたところ 信長は非常に喜んだという記録がある。時に天正九年(1581年)の事であった。

 またその4年後の1585年には日本の少年使節団がローマ法王に謁見すると共に、ヨーロッパ各地で 歓迎されている。その際当然の事ながら、彼らは西洋のキリスト教音楽や楽器に接していると 思われるが、彼ら自身もミサ等に参加しているものと思われる。

 また大変興味深い事であるが、伊勢の船頭であった大黒屋光大夫が船で遭難して流され、 アリューシャン列島のカムチトカに漂着したが、紆余曲折の末、ペテルブルグに赴き エカテリーナ女帝に謁見した。

 女帝は光大夫の不運に同情して帰国を許可したが、その間、光大夫一行は西洋の文化に接すると 共に西洋の楽器もスケッチして持ち帰った。蘭学者の「桂川甫周」は10年間に及ぶ彼らの漂流記を、 光大夫の口述に基づいて「北槎聞略」をとりまとめたが、ここには数種の楽器の記述がある。

この様に日本人が初めて、西洋のキリスト音楽文化に接したのは、450年位以前の話であるが、 実際に西洋の音楽文化が日本に正式に取り入れられたのは、それから約330年経った明治12年 音楽取調掛が設置されて以降である。

 先駆者であった「幸田延」女史によって本格的なヴァイオリン(以下、Vn)音楽の幕開けとなったが、その後 ヨアヒムに師事した「安藤幸子」女史によって日本におけるVnの音楽人口が急速に増加すると共に、 Vnを製作しようとする気運が高まってきた。

さて日本で初めてVnを制作したのは誰であろうか・・・。
 当時音楽取調掛の長であった伊沢修二が、雅楽器の製作者であった「神田 某」に依頼して 作らせたのが初めてであると云われているが、(明治17〜18年頃)一説によれば三味線の製作者で あった「松永定次郎」がニコライ堂のヴァイオリニストのVnを模して作ったのが初めてで あるとも云われている(明治13年)。

 明治20年頃になると「頼母木源七」もVnの製作を始めたが両者とも長くは続かなかった。 源七の指導により「山田縫三郎」が引き継いだが、本格的にVnを制作し、日本のVn 製作の祖と言われているのは「鈴木政吉(1859〜1944)」である。


平成14年5月16日  ***編集責任・錦生如雪***


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