ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第一楽章 ヴァイオリンの歴史


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その10) 日本へのヴァイオリン伝来期

<日本でのヴァイオリン製作状況(その2)>

<鈴木政吉(1859〜1944)>

 名古屋生れの鈴木政吉は名古屋でヴァイオリン(以下Vn)製造業を始め、その生涯をVn作りに 捧げた人物であり、世界のVn業界に名を轟かした。
 父の家業であった三味線作りで棹作りなどを手伝って作っていたが、14才の時、浅草の塗り物商に 奉公に上がる。この時に覚えた漆塗りの技術が、後にVnのニス塗りに大いに役立ったと言う。

 明治17年に父が病死したが、当時和楽器の製造業者にとっては見通しの暗い時期であり、政吉は 父の跡を継がずに小学校の音楽教師を目指すが、その時初めて見たVnに魅せられてVn作りを目指す ことになった。試作品の鈴木Vnの弟一号は周囲の賞賛を集めたのに力を得て、Vnの製作を続ける事と なる。時に明治21年の初頭の事である。

 翌明治22年には音楽取調掛、後の東京音楽学校。現東京芸術大学の伊沢修二校長に試作品を持ち 込んで、伊沢の斡旋により販路が拡大する。それに呼応するように政吉は機械化による量産方式の 工夫を重ね成功する。Vnの需要は益々増加し、鈴木Vnは大量生産時代に入り、日本の鈴木Vnの名前が 世界に轟く事になる。
 また政吉の作ったVnはパリ万博で銅賞を受け、その品質が世界的に認められた、明治33年(1900)の 事である。これ以降政吉はさらに業容を拡大して鈴木Vnの黄金期を迎える事になる。

<鈴木梅雄(1889〜1981)>

 鈴木政吉の息子として生まれた鈴木梅雄は非常に勤勉な人物であり、また父からVnの製作法を 徹底して教育を受けた。また梅雄は仕事の傍ら東京音楽学校に入り、頼母木駒子からVn演奏の指導を受けたが、上達は速く、 弦楽四重奏団から誘いがくる程であったと言う。
 さらに梅雄は数回ヨーロッパにVnの製作方法についての視察に行っているが、鈴木Vnの品質について さらに自信を深めたと云われている。

 子供が多く、梅雄の子供達のうち、3・4・5・6男は楽器の演奏を勉強するためにヨーロッパに 留学をしていたが、鈴木の名声をさらに高めるために呼び戻して鈴木弦楽四重奏団を結成した。
   第一Vn:鎮一(三男)第二Vn:喜久夫(六男)Va:章(四男)Vc:二三男(五男)
これがどの程度のレヴェルにあったものか筆者はよく知らないが、ともあれ、兄弟で一つの弦楽 四重奏団を組んで活躍した例については、残念乍ら筆者は寡聞にして知らない。

 この様に鈴木VnはVnの製作のみならず、演奏の分野においても多大の貢献をしたが、特に鈴木鎮一は 早期才能教育を提唱し、日本のVn演奏技術の向上に多大の貢献をした。
(この件については日本のVn教育の項で詳述したい)

<宮本金八(1878〜1960)>


昭和9年宮本金八製弦楽四重奏用楽器セットと肖像写真(雑誌「サライ」より)

 日本のVn製作史上、歴史に残る人物と言えば鈴木政吉と宮本金八の2人を忘れるわけにはいかないが、 Vnの製作技術の面で、最も優れた才能を発揮したのは宮本金八であった、と云われている。
 宮本金八は1878年(明治11年)西洋建築の大工の家に生まれた。僅か10才の時、創設されたばかりの 日本楽器(現・ヤマハ)に入社し、当初は木製オルガンの修理に携わったが、1910(32才)年頃から Vn修理及びVnの製作を始め、めきめきと腕を上げる。

彼のVn修理、製作技術は素晴らしいものであり、当然の事ながら彼の製作したVnも素晴らしいもので あった。然し彼はストラディヴァリと同様に生涯研究を怠らなかったので、益々磨きがかかり、彼の 壮年期以後の作品は、東洋のストラディヴァリウスと言われ、国内外から高い評価を受けている。
 その為に海外の一流のVn奏者「クライスラー、ジンバリスト、ハイフェッツ」等に絶賛されている。
 また日本のVn演奏家の多くを育てたモギレフスキー氏も宮本金八のVnの愛好者であったと言われて いる。彼はVnの愛好者であったムッソリーニにもVnを贈っている。

武蔵野音楽大学の楽器博物館には平成12年にご遺族から寄贈された、弦楽四重奏用の楽器セットが 陳列されているが、これは全て同じ木から作られており、彼として余程の自信作であった様で、この 楽器を作り終えた時、彼は家族に「この作品は絶対に散逸させぬ」と言ったそうである。この楽器を、 科学者でVn愛好家であったアインシュタイン博士が大正11年に来日した時に試奏したそうである。

彼は92才と、矢張り長命であったストラディヴァリとほぼ同じくらいの年齢でこの世を去ったが、 86才の時の作品数としては、Vn;270本。Va;30本。Vc;28本と記録されているが、現在誰が所有して いるのか不明との事である。
1957年に紫綬褒章を受章している。


大正四年(1915)、日本楽器で自作第一号製作。
大正八年(1919)独立し、自宅で楽器製作。
(引用雑誌:「サライ」より)

平成14年5月19日(改訂:平成17年6月15日)
***編集責任・錦生如雪***


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