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ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第一楽章 ヴァイオリンの歴史


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その11) 日本へのヴァイオリン伝来期

<日本でのヴァイオリン製作状況(その3)>

<菅沼源太郎>(1895〜1975浜松生れ)

日本の手工ヴァイオリン(以下Vn)の製作の始祖の一人と伝えられている。
 日本楽器に就職、弦楽器の製作に興味を持ち、独立して東京へ出てVnの製作を行った。
 非常に勤勉な、そして頑固一徹な職人肌の人物であり、自分で製作したVnに対する評価も厳しく、 彼自身の気に入った作品は少なかったと云う。然し彼の作品は極めて優美に仕上がっており、特に ニスの扱いは素晴らしいものがあり、音色も独特の美しさがあったとの事である。

 1927年には宮内庁御用達となり、作品を皇太后に献上した事は、よく知られている。
 源太郎は武蔵野音楽大学に勤め、楽器修理なども担当しており、同大学に弦楽器の製作過程に 沿って展示する楽器博物館なども設けられた。
 前述したように、彼自身の少ないお気に入りのVnの一つをモギレフスキー氏が愛用していたとの ことである。
 こうした功績が認められて1969年には紺綬褒章を受章している。

< 峯沢峰三>(1899〜1987年)

 峰三の父は峯沢宮蔵と言って、優れた宮大工であったが、兵庫県播磨に当時東洋楽器という 会社があり、そこでVnの製作に携わっていた。
 峰三はこの父宮蔵からVnの製作技術を学び、生涯Vn及びチェロの製作に携わる。

 峰三の作ったVnは優美なものであり、特に裏板の楓の模様は美しかったと云われている。
 そして自分の満足出来る作品のラベルには毛筆で龍の字が添え書きされている。辻久子が当時 「日龍、月龍」と命名された彼のVnを2挺使用していたが、「私の生涯でこれ以上のVnを持つ ことは無いでしょう」と云ったと言うエピソードが残されている。
 然し辻久子はその後(筆者の記憶ではそれから30年くらい後)家を売ってストラディヴァリウスを 購入しており、ヴァイオリニストとって、ストラディヴァリは、やはり憧れであるものと思われる。
(筆者の師匠から聞いた話では峰三は、このほかにも鷲の彫刻を施したVnも作っていたと言う ことであった。)

<峯沢泰三>(1901〜1969京都府生)

 叔父の峯沢宮蔵に師事してVnの製作の技術を修得したが、その後独立して大阪に移り、Vn、 ギターの製作、修理をしていたが、終戦後東京に進出してVnを製作し、日本のVnの品質向上に 多大の貢献をした。

 戦前、彼のVnはハイフェッツ・エルマン・オイストラフから激賞されたが、ハイフェッツが 1931年に2度目の来日を果たした際、彼の愛用していた2挺のVn「一つはガルネリ・デルジェス。 もう一つはストラディヴァリウス(愛称ドルフィン・・・現在諏訪内晶子が使用)」の2挺共に 破損してしまったが、(原因は長雨による湿度のせい)急遽峯沢泰三に修理を依頼したところ、 泰三の献身的な協力により見事に修理が完了し、京都・大阪における演奏会が無事終了し、 事なきを得た。

 ハイフェッツは非常に感謝し、日本にもこれ程優秀な技術者がいたのかと激賞し、感謝状に 添えて、彼自身の写真にサインを入れて泰三に贈ったと言うことである。
 (筆者はこの話は師匠から聞いていたが、師匠の話ではハイフェッツは修理中、片時もVnの 傍から離れることは無かったという。)

またエルマンが来日した際に、泰三はエルマンのストラディヴァリウスを見せてもらったが、 その際にストラディヴァリウスの側板と表・裏板に、はがれがあるのを発見、エルマンは慌てて 泰三に修理をするように依頼したが、この時もハイフェッツの時と同様に見事に修理をして、 大阪での演奏会は恙なく終わることが出来た。エルマンからも大変感謝をされたと言うことである。

(筆者注)日本は湿度が高く、特に雨が続くとVnの接着部の膠が剥がれることがある。 Vnには湿度が大敵である。

<無量塔蔵六(むらた ぞうろく)>(1927〜)

この名前は彼の職業ネームであり、本名は村田昭一郎と云う。
 昭和2年の生まれであり、青春時代は終戦前後の混沌とした時代であったにも関わらず、生来の 音楽好きであり、Vnも少しは、いじっていた様である。
 終戦後間もなくの昭和21年頃から楽隊屋に入りVnを弾いていたが、当時の進駐軍のクラブでも 働いていたと云う。戦後もやゝ時間が経ち進駐軍のクラブも徐々に閉鎖される事となった為、 蔵六は1950年頃(昭和25年)からVnの修理・製作を始める。

 約10年くらいはVnの製作の合間を縫ってVn属のルーツなどVnの基本的な事について勉強をしたが、 これが後にドイツでのマイスターの資格を取るのに大いに役立ったと言う。
 彼はドイツのミッテンヴァルトの国立Vn製作学校に留学、Vnに関する歴史、音響学、理論、及び 実技をホルン・スタイナーから学ぶ。ドイツの徒弟制度は大変厳しいものであり、マイスターの 資格を取得するのは大変厳しいものであるが、無量塔蔵六は幸いなことに(ドイチェ・Dipl・ ガイゲンバウ・マイスター)を与えられる。

 帰国後伝統的なVn工法でVnを作るが、1976年にはアメリカ独立200年を記念して開かれたVn製作 コンクールに出品して、金賞を得て彼のVnは世界的にも評価される。
 その後1979年には日本で唯一の東京Vn製作学校を自分個人で設立し、日本の手工Vnの製作技術の 普及に大きな貢献をした。
 現在ではブルガリア・チェコ・ポーランド・ヴィエニアウスキー ・チャイコフスキー コンクールなど、国際Vn製作コンクールの審査員などを勤めている。

彼の影響を受けてか、筆者の住んでいるところの周辺だけでも、クレモナで修行した人物あるいは ドイツのガイゲンバウ・マイスターを受けた人物が工房を開いており、Vn製作の部門でも着実に 後輩が育っている様である。

(筆者注)筆者の師匠は戦前、東儀哲三郎門下生であり、2度ばかりリサイタルを開いたものの、 ヴァイオリニストとして名を成した人物では無いが、裕福な家庭に育った人であるので、 当時来日したハイフェッツ、エルマンetcのすべての来日名演奏家の演奏を体験されており、 その感想等をレッスンの度毎に聞かせて頂いたことが、筆者にとっても非常に参考になった。 また非常に器用な人物であり、Vnの修理、魂柱の調整などもされており、前述の峯沢峰三氏や 峯沢泰三氏と交流があった為に前述の日龍・月龍の話や鷲の彫刻のあるVn、さらにはハイフェッツや エルマンのVn修理で感謝された話等を泰三氏や峰三氏本人から聞かれたものを筆者が又聞きで お話を伺ったことを懐かしく思い出し乍ら筆を進めた。


平成14年5月23日(平成16年4月5日三訂)***編集責任・錦生如雪***


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