ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第三楽章 ヴァイオリニスト


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その9)20世紀中葉から現在

20世紀中葉から現在活躍しているVn奏者達

 
<目   次>
<アッカルド><パールマン><カントロフ>
<クレーメル><チョン>

 今までヴァイオリン(以下、Vn)音楽の発生から、Vn音楽、Vn奏法を模索発展させてきた人物、そしてその技術を受け継いで 更に発展させてきた人物、さらにはパガニーニを頂点とするVn奏法を究極まで高め、それらを20世紀 まで引き継いで来たヴィルトゥオーゾ達について紹介してきた。

 本項ではそれらの技術を更に発展させて、現在活躍しているヴィルトゥオーゾについて紹介したい。
 実はイーゴリー・オイストラッフの生年が1937年である。今から紹介するアッカルドが1941年 パールマンが1945年であり、オイストラッフとは少し年齢的な開きがある。

 この時期に世界の音楽界ではVn音楽、及び演奏家の衰退が懸念されていた時期でもある。  筆者は確か音楽芸術誌で、柴田南雄氏が将来Vn演奏面で大きな発展は望めないのではないかと、 悲観的な論評をされていたのを記憶している。

 然しその舌の根の乾かぬタイミングで、これらの悲観論は見事に吹っ飛ばされてしまった。それは パールマン、ズーカーマン、クレーメル、チョン・キョン・ファ等々の出現によるものである。
 しかもそれぞれに過去のものを更に進化、或いは発展させたもの、更にはクレーメルのように色んな 工夫がこらされ、現代音楽の作曲家の音楽を積極的に紹介する等、実に頼もしい名Vn奏者が一気に 輩出された。この空白の時期はいわば充電期間であったようで、柴田南雄氏らの悲観論は幸いにも 杞憂に過ぎなかったわけである。


(1)アッカルド、サルヴァトーレ(Accardo、Salbatore)
アッカルド
(1941〜 )イタリア生まれ

 アッカルドはイタリアはトリノで生まれた。早くから抜群の才能を示し、6才で正式に音楽の勉強を 始めた時には、既にVnの腕前は相当なものであったらしい。ナポリのサンピエトロ音楽院でルイジ・ ダンプロジオに師事、続いてシェナのキージ音楽院でイヴォンヌ・アストリュク、及びミルスタインに ついて学んでいる。
 13才でトリエステでパガニーニを弾いてデビューしたという神童である。
 1955年14才の時ヴィオッティ国際コンクールで3位入賞、翌年15才ジュネーヴ国際コンクール、 1957年16才でイタリア放送コンクールで入賞するという目覚ましい成績を上げ、1958年には僅か17才で パガニーニ国際コンクールで見事優勝に輝いている。そして〈パガニーニの再来〉と称えられている。

 以来独奏者として世界的な活動を展開すると共に、イ・ムジチのソロ奏者としての活動や、トリノに 自らの室内管弦楽団を組織して、リーダーとなって活躍している。更にアルゲリッチ、ガッツェローニ らとの室内楽活動を行う等、非常に活発な活動を行っている。
 また音楽映画「パガニーニ」の吹き替え演奏を担当している。
 パガニーニを得意とするアッカルドは当然の事ながら超絶技巧の持ち主であり、その名人芸を聴く 人すべてを圧倒してしまう力を持っている。しかもイタリア人特有の明るいベル・カント的な音色で 楽器本来の魅力を余すところ無く、引き出す能力も兼ね備えている。

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(2)パールマン、イツァーク(Perlman、Itzhak)
パールマン
(1945〜 )イスラエル生まれ

 パールマンはイスラエルのテルアヴィブに生まれた。両親は1930年代にポーランドから移住した ユダヤ系の家族で、両親は音楽には特に関係は無かった。
 パールマンは3才の時におもちゃのVnを与えられたが、間もなく本物のVnを習い始めた、然し 不幸なことに、4才3ヶ月の時に小児麻痺に罹ってしまった。
 然しパールマンはその後もVnの勉強を続け、シュラミット高等学校でVnのレッスンを受け、奨学金を 得てテルアヴィブ音楽院でリヴカ・ゴルトガルトに師事した。そして早くも10才でリサイタルを開いた のを始め、イエルサレム放送管弦楽団と共演して、ラジオ放送にも出演している。

 この様にして、テルアヴィブを中心に活動したが、1958年にアメリカの人気テレビ番組「エド・ サリバン・ショー」に出演して好評を博した。その為そのまま奨学金を受けてニューヨークに留まり、 ジュリアード音楽院で名教師イヴァン・ガラミアン、及びその助手であったドロシー・ディレイに 師事をした。13才の時に初めてディレイに師事をしたが、ディレイは英語を一言も話せなかった パールマン、そして障害児のパールマンをVn学習のために、彼一人でジュリアードに通学出来るように、 色んな面で手助けをしている。
 例えば松葉杖と一緒に運べる軽いケースを持たせる等、パールマンの自立を図る為に色んな サポートをした。

やがてパールマンは友達も得て、普通の学校生活を楽しむ事が出来るようになったが、これは ディレイの協力によるものだけでは無く、彼自身が障害者であるにも拘わらず、開けっぴろげの 明るい性格であった事も幸いしたものと思われる。

 この様にしてパールマンは厳しいハンディキャップを乗り越えて名演奏家に成長した。
 彼は身障者である為に、多くの人は、彼が演奏家になる事などは問題外であると思っていた様で あるが、師のドロシー・ディレイは、彼が名演奏家になることを、これっぽっちも疑ったことは 無かったと言う。むしろ彼の為にカーネギーホールにチェアー・リフトが取り付けられるなど、 他の障害者の為に役立っている。

 そして1963年18才の時にはカーネギーホールでヴィエニアウスキーの協奏曲No1を弾いてデビューを 飾り、1964年にはレーヴェントリット、コンクールに優勝。ニューヨーク・フィルハーモニーを初め 各地の主要オーケストラから出演依頼が殺到した。

 1965年にはイスラエルに帰って盛大な歓迎を受けたのを初めとしてヨーロッパ・イギリスにも デビューして現代若手最高のVn奏者と評価された。親友のズーカーマンと同じアパートに住み、同門の キョン・チョン・ファ、ソヴィエトのギドン・クレーメルと共に当時のVn界をリードしている。
 彼の演奏はいわばエルマンや最盛期のハイフェッツの演奏を思い出させるが、華麗で豊かな美音は 歌と華のあるもので、聴く側を無意識のうちにエクスタシーへと誘い込む力を持っている。

 筆者は2度彼の演奏会へ出かけている。一度はオーケストラとの協奏曲、後の一度はバッハの 無伴奏Vnソナタとパルティータであったが、彼の無窮動が何時までも終わらないことを祈りながら 聴いたと、随筆で書いた覚えがある。
 パールマンは現在57才である。約20年前からブルックリン・カレッジのマスタークラスでを教えて いたが、彼の教授法としては、ガラミアンの絶対服従の教授法に尊敬を払いつつも、ディレイの様に 自分で納得させるように徹底的に生徒と話し合って納得の上、弾かせると言うやり方をとっている 様である。

 1998年にパールマンはジュリアードの教授陣に加わった為、既に他界しているガラミアンや2001年に 癌で他界したディレイの後を継いで、後進の指導をするものと思われ、今後のジュリアードも安泰で あろうと考えられる。

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(3)カントロフ、ジャン・ジャックKantorow、Jean・Jacques)
カントロフ
(1945〜 )フランス生まれ

 カントロフはフランスはカンヌに生まれた。ニース音楽院で学び、その後パリ音楽院に入学、 ベネデッティに師事した。
 1962年17才の時カールフレッシュ国際コンクール、1963年ロン・ティボー国際コンクール、 1964年パガニーニ国際コンクール、1965年にはジュネーヴ国際コンクールと毎年入賞を果たしている。
 パガニーニコンクールではパガニーニが愛用していたVnを特別に弾くことを許されるという栄誉を 受けている。
 その後、パリ音楽院の教授として教鞭をとる傍ら、パリ管弦楽団の首席コンサートマスター、 ソリストとして活躍している。
 カントロフのVnは矢張りフランス生粋のデリケートな感性を持ったものであり、ラヴェル、 ドビュッシーのソナタ等印象派の表現に抜群の感性を持っている様である。

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(4)クレーメル、ギドン(Kremer,Gidon)
クレンメル
(1947〜 )ソ連(ラトヴィア)生まれ

 クレーメルはユダヤ系の音楽一家の家に生まれた。祖父、両親共にVn奏者であり4才の時から 父親にVnの手ほどきを受けている。7才でダルジニ記念リガ特別音楽学校に入学、ラトヴィア共和国、 次いでバルト三国の二つのコンクールで優勝している。
 そしてその後初めてリサイタルを開いた。1965年にモスクワ音楽院に入学して、ボンダレンコ、 及びダヴィッド・オイストラッフに師事。特にオイストラッフに大きな影響を受けた。

 コンクール歴は多彩で、音楽院在学中の1967年にエリザベト王妃国際コンクール3位、1969年 モントリオール国際コンクール2位、同年パガニーニ国際コンクールに優勝したのに続いて、 1970年にはチャイコフスキー国際コンクールにも優勝をするという華々しい成果を上げている。

 その後はソ連国内で演奏活動をしていたが1975年に西ドイツ及びイギリスへのデビューで圧倒的な 成功を収めた。中でもプレヴィン指揮のロンドン交響楽団と共演したブラームスのVn協奏曲の演奏は、 大評判となった。
 その噂を聞いたカラヤンの強い要望で、同じくブラームスのVn協奏曲をベルリン・フィルと録音して、 クレーメルの名は一躍世界的に不動のものとなった。

クレーメルの音質はやや硬質なものであり、パールマン、ミルスタイン、グルミオーの様な美音と 言われるものではなく、その対極にあり、寧ろシゲティの範疇に入るものと思われる。
 またクレーメルは極めて論理的な考え方を持った人物であり、音楽表現の面でもシゲティと一脈 相通じるものがあると思われる。

   またクレーメルは近年色んな試みを行っている。その一つは、ロシアの現代作曲家の作品を積極的に 取り上げて、彼らの優れた作品を紹介するなどいわば啓蒙運動のようなものや、色んな名演奏家との 共演などに積極的に取り組んでいる。
 最近ではピアソラの音楽に憑かれたように取り組んでいる。

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(5)チョン、キョン-ファ(Chung、Kyung-Wha)
チョン
(1948〜 )韓国生まれ

 チョン・キョン・ファは韓国の富裕な弁護士の音楽一家の長女として生まれた。因みに7人兄弟は すべて音楽家として西側で活躍しているが、そのうち有名なのはチョン・キョン・ファと弟の チョン・ミュン・フン(指揮者)である。
 キョン・フアは4才の頃からピアノを始め、6才の頃にVnに転じ、独力でVnを習い始めた。
 9才の時にソウル・フイルハーモニーとメンデルスゾーンのVn協奏曲を共演するという天才振りを 発揮している。

 12才で両親と共にアメリカに渡り、ジュリアード音楽院に入学して、名教師ガラミアンに師事する。
 1967年19才の時カーネギーホールで開かれたアメリカの新人Vn奏者の登竜門であるレーヴェントリット 国際コンクールに出場して、ズーカーマンと一位を分け合っている。
 その後一年間は仕上げの為の勉強を重ねた上で、アメリカ全土で100回に亘る演奏会を開いている。

 そして1970年22才の時、慈善コンサートでプレヴィン指揮ロンドン交響楽団とチャイコフスキーの Vn協奏曲を弾いて大センセーションを巻き起こして「ジネット・ヌヴーの再来」との最高の賛辞を 受けている。以来ヨーロッパ、アメリカで超一流の人気を得て精力的に活躍しているが、1971年には、 プレヴィン指揮ロンドン交響楽団と来日し、チャイコフスキーのVn協奏曲を披露すると共に、 1993年には単身で来日している。

 これ程の評価を受けた彼女であり、確かに名演奏家であることに口を挟む余地は全く無い。また 彼女の親衛隊と言うか、熱狂的なファンが居ることも事実であるが、何故か2001年の来日の際、 「チョン・ミュン・フン指揮」の演奏では、演奏後ブーイングを起こしている。  演奏に対して、聴衆の好みが彼女ほど大きく分かれる演奏家も少ないのではないかと思われる。

 筆者も実は余り好みの演奏家では無いが、彼女はバイタリティを包み隠すことなく、ストレートに 演奏態度に現れる。即ち彼女の演奏は、激しく動き、当然の事ながら演奏内容にも反映する。筆者は 激しい感情を表出するのに、激しい態度で表出するのとは少し違うのではないかと考えている。
 本当の激しさを表現するのには、ありっ丈のヴァイタリティをぶつけるのでは無く、ある程度 抑制のきいた激しさというのが、より激しさを訴えかける力が、そして、より心を打つ演奏になる のではないかと思う。
 今後の彼女の変貌を期待したいと願う一人である。

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********* ヴァイオリン(Vn)は本当に不可思議な楽器である!******

          次回も20世紀中葉から現在活躍中のVn奏者達です。

平成14年11月4日  ***編集責任・錦生如雪***


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