ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第三楽章 ヴァイオリニスト


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その12)その他の名ヴァイオリニスト

その他の名Vn(ヴァイオリン)奏者達(ミニ・バイオグラフィ)(その2)

 

 生年順に「ハシッド」より「カガン」まで、19名の名ヴァイオリン(以下、Vn)奏者を一覧表に記します。

 
番号奏    者ミニ・バイオグラフィー
22ハシッド、ヨゼフ
(Hassid、Josef)
1923〜1950 ポーランド
名教師フレッシュに師事、数々の名Vn奏者を育てたフレッシュが、最も素晴らしい生徒で あったと回顧する将来性のあるVn奏者であった。彼の演奏を聴いたクライスラーは200年に 一人の逸材であったと語ったと言う。残念乍ら脳腫瘍の為に弱冠27才で夭折、惜しいVn奏者であった。
23シトコヴェッキー、ユリアン
(Sitkovetsky、Julian)
1925〜1958 ロシア
4才で父グリゴリーに手解きを受ける。その後キエフ中央音楽学校でダヴィッド・ベルティエに 師事。さらにモスクワ音楽院に入学、アブラム・ヤンポリスキーに師事し研鑽を積む。 1945年全ソ連青年コンクールのVn部門で優勝、1947年プラハ青年音楽祭でコーガンやベスロドニーと 優勝を分け合っている。ソロ活動を行うと共に、チャイコフスキー弦楽四重奏団を結成するなど、 室内楽にも力を注いだ。1952年ヴィエニアウスキ国際コンクール2位、1955年エリザベト王妃国際 コンクール2位。肺ガンの為、32才の若さで夭折。
24メルクス、エドアルド
(Melkus、Eduard)
1928〜 オーストリア
ウイーン音楽院でE・モラヴェッツに師事した。またウイーン大学でE・シェンクに音楽学を 学ぶ。トーンハレ管弦楽団のソロVa奏者を務めるほか、室内楽に力を注いだ。1965年にオリジナル 楽器によるアンサンブル、カペラ・アンティクワを創設して、指揮者となる。古楽器アンサンブル の草分け的存在であり、大きな業績を残している。
25ウイルコミルスカ、ヴァンダ
(Wilkomirska、Wanda)
1928〜 ポーランド
音楽一家に生まれ、5才から父親から手解きを受ける。1943年からワルシャワのロッツ音楽院で イレーネ・ドゥビスカに師事。ブダペスト音楽院でエデ・ザトレッキー、パリでシェリングに師事した。 1950年にライプティッヒ・バッハ・コンクールに入賞、1952年にはヴィエニアウスキー国際コンクール に、イーゴリ・オイストラッフに次いで2位に入賞。1961年カーネギーホールに於けるデビューが 大成功を収め、名声は世界的なものとなる。彼女の表現は表面的な美しさだけでは無く、聞き手の 心に深く切り込むような説得力を持っている。
26コヴァーチェ、デーネシュ
(Kovacs、Denes)
1930〜 ハンガリー
8才からVnを学び、ブダペスト音楽院で、エデ・ザトレッキーに師事。1950年に卒業。 ハンガリー国立管弦楽団のコンサートマスターに就任。1955年にカール・フレッシュ国際コン クール優勝。1957年には母校の教授に迎えられる。ハンガリーを代表するVn奏者として世界的に 活躍1961年初来日。清冽で柔らかな音の持ち主であるが、曖昧な表現は許さない厳しさがある。
27オークレール、ミッシェル
(Auclair,Michele)
1930〜 フランス
6才からVnを学び、パリ音楽院でジュール・プシューリに師事。卒業後ティボーの教えも 受けている。13才でロン・ティボー国際コンクールで優勝、以来国際的な活動を開始、ヌヴー以来の 天才女流Vn奏者として大評判をとった。然し30才頃に早くも引退してしまった。現在は後進の指導に 当たっている。彼女の弾くメンデルスゾーンのVn協奏曲は今でも名演として語り継がれている。 筆者もCDは持っているが、素晴らしい演奏である。 長岡京アンサンブルで活躍している「森悠子」 はオークレールの門下生。
28フェラス、クリスチャン
(Ferras、Christian)
1933〜 フランス
6才よりVnを学び始める。10才の時にニースのコンクールで優勝。パリ音楽院でルネ・ ベネディッティに師事すると共に、ジョセフ・カルヴェの室内楽のクラスでも学ぶ。さらにエネスコの 教えも受けた。15才でシュヴェツィンゲン、コンクールに優勝、更に16才でロン・ティボー国際 コンクールで2位(1位なし)に入賞して名を上げ、国際的に活躍する。カラヤンとも屡々共演して いる。幾分線は細いがフランス風の洗練されたセンスとロマンテイックな演奏が特長である。 1961年に初来日。
29アーヨ、フェリックス
(Ayo、Felix)
1933〜 スペイン
ビルバオ音楽院を卒業後、政府の奨学金を受けてパリに留学。更にローマの聖チェチィーリア 音楽院でレミジオ・プリンティーペに師事。1951年に同音楽院の出身者とイ・ムジチ合奏団を 立ち上げ、リーダーとして活躍する。1968年に退団してソロ活動を行ったが、同時にベートーヴェン・ ディ・ローマ四重奏団を主宰して、室内楽にも力を注ぐ。彼のイ・ムジチ時代に録音した ヴィヴァルディの「四季」は日本に於けるバロックブームに拍車をかけた。イ・ムジチと屡々 来日したが、ファザーノ率いるローマ合奏団の一員としても来日している。
30ズスケ、カール>br>(Suske、Karl)
1934〜 ドイツ
1948年にリスト音楽院に入学、続いてライプツィヒでゲルハルト・ボッセに師事、 ゲバントハウス管弦楽団の次席コンサートマスターとなる。1962年コンヴェチュニーの 推薦でベルリン国立歌劇場管弦楽団の首席コンサートマスターに就任する。 その一方で1965年にズスケ弦楽四重奏団を(後にベルリン弦楽四重奏団と改称)立ち上げ、 室内楽のリーダーとしても活躍。ソリストとしても数々のCDを残している。 ソリストとしては1979年に初来日。
31ブランディス、トーマス
(Brandis、Thomas)
1935〜 ドイツ
ドイツ国立音楽院で学ぶと共に、マックス・ロスタルに師事。1956年ドイツ国立音楽院の コンクールに入賞、翌年ミュンヘン国際音楽コンクールのデュオ部門で2位となった。その後 ハンブルグ・バッハ管弦楽団のコンサートマスターに就任、ハンブルグ交響楽団、ベルリンフィルの コンサートマスターを歴任する。そして室内楽にも意欲を燃やし、ブランディス弦楽四重奏団を 結成、後にトリオも結成して活躍している。
32ラビン、マイケル
(Rabin、Michael)
1936〜1972 アメリカ
6才で父から手解きを受けた後、ジュリアード音楽院でガラミアンに師事。1950年14才で カーネギーホールでデビューして天才少年と騒がれた。そしてアメリカを中心に活躍するが、 不慮の事故の為に惜しくも35才の若さで夭折した。胸のすくような技巧の持ち主であり、透明で のびのよい、抜けきった音は、聴衆を酔わせたが、残念なことである。 
33フェイギン、グリゴリー
(Feigin、Grigory)
1937〜 ロシア
モスクワ音楽院でダヴィッド・オイストラッフに師事、1961年プラハ国際コンクールで大賞受賞 。ライバルのイーゴリ・オイストラッフ並びに年下のザハール・ブロンと並び称される ロシアVn界の名手。
34ホームズ、ラルフ
(Holmes,Ralph)
1937〜イギリス
ロンドン王立アカデミーでデイヴィッド・マーティンに学んだ後、パリでエネスコに、 ニューヨークでガラミアンに師事した。ロン・ティボー国際コンクールで3位(1957)。 翌1958年ブカレストのコンクールでも入賞、1964年の王立アカデミーの教授に就任。
35ズーコフスキー、ポール
(Zukofsky,Paul)
1943〜 アメリカ
4才からVnを始めて6才で初公開演奏をする。7才の時ガラミアンに学んで、ジュリアード 音楽院でも引き続きガラミアンに師事。1953年にニューヘヴン交響楽団のソリストとして出演したが、 正式デビューは1956年のカーネギーホールでのリサイタルである(13才)。レパートリーは広く、 バロックから現代音楽に至るが、高度の技術と鋭いリズム感に定評がある。
36ウーギ、ウート
(Ughi、Uto)
1944〜 イタリア
4才でスカラ座管弦楽団のアリオダンテ・コッジに手解きを受け、7才で初リサイタルを開く。 その後エネスコの教えを受ける。キージ音楽院に入り、コルラド・ロマーノに師事、世界各地に 楽旅。1975年のソヴィエトでは、満員の聴衆で入りきれなかった人のために、急遽赤の広場で 演奏したほどの大盛況であったという。聖チェチリア音楽院教授、及びパガニーニ国際コンクール 審査員。1980年に初来日。
37クイケン、ジギスヴァルト
(Kuijken,Gigiswald)
1944〜 ベルギー
少年時代から古楽に関心を示し、ヴィオラ・ダ・ガンバを独学でマスターしたが、ブリュージュ 並びにブリュッセルの音楽院で現代Vnも学び、1964年に首席で卒業。その後もっぱら古楽の研究と 演奏に専念している。兄のヴィーラント・クイケンと共にアラリウス合奏団の一員として、また フランス・ブリュッヘン、グスタフ・レオンハルトのよきパートナーとして演奏活動に専念して おり、後進の指導にも力を尽くしている。「バロックVnの名手」
38スピヴァコフ、ウラディミール
(Spivakov,Uladimir)
1944〜 ロシア
母親から手解きを受けた後、7才からVnを習い始め、モスクワ音楽院に入学、卒業後も ユーリ・ヤンケレヴィッチに師事。1965年ロン・ティボー国際コンクール3位、1967年パガニーニ 国際コンクール2位、1969年モントリオール国際コンクールではクレーメルを抑えて優勝。 1970年チャイコフスキー国際コンクールでは、今度はクレーメルに勝利を譲り、藤川真弓と 並んで2位に入賞した。その後ジュリーニとの共演でウイーンにてデビュー、1976年アメリカで デビュー。1977年にはロンドンでデビューした。1979年初来日。彼の演奏は柔らかく繊細で、 歌い振りも寧ろ控え目である。
39アモワイヤル、ピエール
(Amoyal、Pierre)
1949〜 フランス
ローラン・シャルミーに師事した後、12才でパリ音楽院を一等賞で卒業、室内楽部門でも 一等賞を、更に1963年にはジネット・ヌヴー賞を獲得している。1966年にハイフェッツに 認められて渡米、ロスアンジェルスで5年間師事した。帰国後ショルティ指揮パリ管弦楽団と 共演して、一躍有名になり、世界各地を楽旅、1975年に初来日している。アモワイヤルの演奏は 決して線の太い演奏ではないが、練り絹を思わせる様なノーブルな響きには心を惹かれるものがある。
40カントロフ、ジャン・ジャック
(Kantorow、Jean・Jack)
1945〜 フランス 
ニース音楽院で学び、その後パリ音楽院でベネデッテイに師事した。1962年フレッシュ国際 コンクール、1963年ロン・ティボー国際コンクール、1964にパガニーニ国際コンクール、 1965年ジュネーブ国際コンクールと毎年の様に入賞している。パリ管弦楽団のコンサートマスターで あると共に、パリ音楽院の教授を務める。ソロ活動も活発であり、フランス的なデリケートな 感性を持ったVn奏者である。1977年には初来日している。
41カガン、オレグ
(Kagan、Oleg)
1946〜1990 ロシア
7才でラトヴィア共和国の音楽院に学び、その後モスクワ音楽院付属の中央音楽学校で グズネツォフに師事、彼の死後ダヴィッド・オイストラフに師事した。1964年エネスコ国際 コンクールに入賞、翌年シベリウス生誕100年記念コンクールで優勝。1966年チャイコフスキー 国際コンクールで2位となるが、1968年のライプチィッヒ・バッハ、コンクールで優勝という 輝かしい成績を得て国際的な楽旅に出る。1974の初来日時にはリヒテルと共演した。 1990年43才の時惜しくも癌のため逝去。

  *********** ヴァイオリン(Vn)は本当に不可思議な楽器である!*******

           次回も現在活躍中のVn奏者達です(ご期待下さい)

平成15年1月9日  ***編集責任・錦生如雪***


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