前項では、ヴァイオリン(以下、Vn)の起源は16世紀中葉で、ガスパロ・ダ・サロか
アンドレア・アマティの何れかが現在の様な形のVnを創ったと書いたが、サロの作品と
アンドレア・アマティのVnは極めて似ていることは確かな様である。
然し一説によればアンドレア・アマティの方が、ガスパロ・ダ・サロよりも30才年長であり、
しかもガスパロ・ダ・サロ の生年より前の日付の作品が残っていると言うことからも、
ほぼ現在の形のVnを創造したのは、アンドレア・アマティであろうと推定している。
そしてガスパロ・ダ・サロはアンドレア・アマティのVnを精巧に模倣したと言う説が有力である。
アンドレア・アマティの頃、1540年頃(約460年前)と言うと西洋音楽の分野では
オルランド・デイ・ラッソーやパレストリーナの時代であり、日本では織田信長・豊臣秀吉の
時代である。その時代にほぼ現在の形のものが創られ、現在でもそのままの形のものが
使い続けられているというのは、Vn及びVn属の楽器だけではないだろうか。
「これは驚異的な事である」
当時の作品はイタリアでは作品にラテン語で表示する習慣があったので、ストラディヴァリの
Vnの作品ラベルには、アントニウス・ストラディヴァリウスと印刷されている。
彼は、古今東西、後にも、先にも彼を凌ぐものはいないと言う、Vn創りの名人である。
然し彼のBIOGRAPHYの中では特に生い立ちの部分が欠落しており、どの研究家が調べても
見あたらず、全くの謎に包まれている。ただ彼の父アレッサンドロ・ストラディヴァリ は
1602年クレモナで生まれ、1622年に母アンナ・モリニと結婚したと言う記録は残っている様である。
そしてかなり裕福な家系であったと言う事である。
ストラディヴァリの天賦の才能は師ニコロ・アマティ の信念である美しさ、あるいは芸術上の
非妥協的な精神を引き継ぐだけではなく、やがて師を超えるVnの製作者になった。
ストラディヴァリは非常に勤勉な人であり、生涯Vnの製作の事ばかりに専念し、Vnを創り続けたと
言われている。ただ一部で90才を越えてまで、これほど精巧なVnが創れるものか、疑問を持つ向きも
ある。
ストラディヴァリの晩年の作品にはストラディヴァリ自身がラベルに製作年と年齢が記入されて
いる「1732:89才。1735:91才。1737年:93才」と書いてあるところから、93才でこの世を去った
ものとされているが、一説によれば97才まで生きたとも言われている 。通常は製作年は書くが、
製作年齢まで書くことは無いので、自身が、93才まで製作したと言う念押しの為に書いたのでは
ないかと言う説もある。
ともあれストラディヴァリは相当元気な人物であり、死別した最初の夫人との間に5人の子供を
もうけたが、2度目の夫人との間にも5人の子供をもうけている。
これらの記録が正しいとすれば、ストラディヴァリは相当に頑健な人物であり、晩年まで名器を
創り続けたことは、容易に推定される。
ストラディヴァリの作品の特徴はきれいで優雅なアウトラインやニスの鮮やかさのみならず、
音色も明るく、特に高音部の明るさは他の追随を許さないものである。
アントニオ・ストラディヴァリはベートーヴェンと同じように3つの時期に分けることが出来る。
初期はアンドレア・アマティから引き継いだものであるが、第二期はロングモデルを創ったと
言われる時期、そして第三の時期はラージモデルのVnを創った時期(1700頃〜1716年頃)である。
この時期はアントニオ・ストラディヴァリの黄金期と言われており、彼の生涯の作品の中でも
最も優れたVnが創られた時期である。
しかし彼はその後も常に素晴らしいVnを創ろうと言う努力を怠らなかった様である。
また彼は自分の創った作品に非常に厳しい態度をとっており、弟子の創った作品に手を加えた
場合はSotto La Desciplinnのラベルを貼って自分自身の作品と、はっきりと峻別している。
アントニオ・ストラディヴァリが生涯のうちに何本のVnを創ったかという事についても、
色んな研究があるが、それは1週間に一本創ったとすれば生涯に3000本になるとか、2000本創ったと
言う説、あるいはウイリアム・ヘンリーの著作では約1000本程度であろうという説を唱えている。
この様に色んな部分で謎の多い人物であるが、現存するのは500本くらいではないか
と推定されている。ただそれらの半数はアメリカに流出したものと考えられ、日本でもかなりの
数の銘器が、愛好家によって集められていると言うのは事実のようである。

(以 上)