ヴァイオリンとヴァイオリン音楽



第一楽章 ヴァイオリンの歴史


(Mr。ビーハイブ楽師の話題メモ帳)

(その5)ヴァイオリン名工

  (2)ガルネリ一族

 ストラディヴァリとガルネリはヴァイオリン(以下Vn)の二大名器として、音楽に余り興味の 無い人にもよく知られている。
 このガルネリ一族のヴァイオリン製作の始祖はアンドレア・ガルネリ(1626〜1689)である。
 このアンドレア・ガルネリは10才の時に、アントニオ・ストラディヴァリと同じニコロ・アマティの 徒弟として入門する。
 アンドレア・ガルネリは10才の時に入門しているうえ、アントニオ・ストラディヴァリより 18才年長である事から、ストラディヴァリのかなりの兄弟子と言うことになる。

 アンドレア・ガルネリは7人の子供をもうけたが、そのうちの3人は男で長男と三男がヴァイオリン 創りの跡を継いでいる。
彼は芸術家と言うよりむしろ有能な職人と言うことであったらしい。経済的な事から、高価な材料を 入手することが出来ず、仕上がりも余り良くなく、音量も、レスポンスもあまり優れたものでは無いと 言う記述がある。

 ピエトロ・ジョバンニ・ガルネリ(1655〜1728年?)はアンドレア・ガルネリの長男であるが、 父親、あるいは家族との折り合いが悪いせいか、あるいはクレモナの堅い因習の為か、クレモナを 離れてマントゥーア(現マントーヴァ)に移り住みVnを創り続ける。この為彼の事は マントゥーアのピエトロと言われている。クレモナで父親のもとでVnを創っているときは、自分の 作品でも自分のラべルは貼らせてもらえず、アンドレア・ガルネリか三男のバルトロメオ・ジュセッペ ・ガルネリのラベルが貼られていたという。
 然し彼は優れたVnの演奏家でもあったので、当然の事ながら音色の良いVn創りに努力をした為に、 極めて優秀なVnを創り彼の作品は、高い評価を得ていた。

 ヨーゼフ・ガルネリ(1666〜1740)は三男であるが、アンドレア・ガルネリが可愛がり、父の跡目を 継いで、ガルネリ家の相続者となる。彼も優れたVn製作者であり、常に良いVnを創り出そうと努力を したが、評価は高いものゝ常にストラディヴァリの名声に押され、Vnの値段も低いものであったと言う。
   その理由の一つとしては、財政的な余裕が無かった為に、安価な材料しか使わざるを得なかった為 だとも言われている。裏板には地元の楓を使い、最悪の場合にはポプラ材を使用したとの事である。

 ピエトロ・ガルネリ(1695〜1762)はヨーゼフ・ガルネリの息子でデル・ジェスの兄である。
 彼はヴェニスのピエトロと言われている。1718年までは父・ヨーゼフの許で働いていたが、ある日 忽然と出奔してしまった。ガルネリの家庭が複雑な様で長男もマントゥーアに逃げ出した事はすでに 述べたとおりである。

 バルトロメオ・ジュセッペ・ガルネリ(俗称ガルネリ・デル・ジェス;(1698年?〜1744年? )は 三男ヨーゼフ・ガルネリの息子である。(始祖アンドレア・ガルネリの孫)彼は敬虔なキリスト教 信者であり、自分の創ったVnのラベルにはIESUM HABEMUS、SOCIUM(人類の救世主)の頭文字から とってIHSと記入した。その後イタリアではデル・ジェスと呼ばれるようになった。
 然し彼もまた謎に包まれた人物であり、生年、没年すらはっきりとしない。

 また彼の作品は時期的に実に不安定で、ストラディヴァリを凌駕する名器を創った時期もあったが、 雑なVnを創った時期もあり、彼の作品は玉石混淆であったと言う。そのガルネリ・デル・ジェスは その生涯を次の4つの時期に分けて考えられる。

(1)初期の約10〜12年父ヨーゼフの許で徒弟として修行したと見られる。その時期の作品はまだ安定 せずにニスのムラも多かったと言う。然しその時分から音量は大きく、将来の名器を彷彿させるものが あったと言われている。
(2)第2の時期(1722〜1728年;24才〜30才)ガルネリ一族の家庭内が円満で無かったせいか、 デル・ジェスは父の許を離れて独立した時期である。(25才の頃と推定される)この時期には色んな 形のVnを試作して、理想的な音色のものを模索したが、なかなか良いものが出来なかった。
 然しこの時期に貧困と闘いながら、理想のVn像を求めて艱難辛苦をしたことが、結果的には黄金期を 迎える基礎となったものと考えられる。
(3)第3の時期(1729〜1743;31才〜45才)彼の黄金期と言われている時期であるが、 この時期にはストラディヴァリを凌ぐ名器を量産したと言われる。パガニーニは1799年に ガルネリ・デル・ジェスを入手、終生使い続けたが、音が大きく響くところから大砲(カノン)と 名付けられたと言う。
(4)第4の時期(1744〜?;46才以降)急激な凋落の一途をたどる。この時期の作風は粗悪なものに なり、パーフリングは粗く、胴の内外ともに仕上がりが悪く、ニスも粗悪なものであったと言う。
 ともあれ没年すら不明のデル・ジェスの性格は怠惰であり、気の向いた時だけVnを創るという性格で あったらしいが、彼の天性とも言われる閃きによって、名器が創られたと言われている。恐らく短い 人生であったと思われるが、酒・女に溺れる人生であったらしい。彼の生没年は不明で色んな説が ある。ある研究書によると1698年〜1744年となっているが、そうなると46才前後で没したことになる。

 ガルネリ一族は素晴らしいVn創りの一族であったが、デル・ジェスには子供が無く、兄のピエトロは ヴェニスに移り、5人の息子と5人の娘をもうけたが、誰もVn創りの職業につかなかった為に ガルネリ一族はピエトロの死(1762年4月19日)と共にVn制作家としてのガルネリ一族は終焉した。



名器の数々

平成14年4月20日  ***編集責任・錦生如雪***


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