選曲コーナー(参考情報欄)



柴田南雄「日本の音楽を聴く」


1.日本人と音楽

 「・・・日本では伝統的に歌舞音曲というものが、普通の市民生活に決して深く根を下ろして
     いなかった・・・」
 「・・・洋楽は日本人にとって誠に特殊な存在であり、他の姉妹芸術と比べると、実に縁の
     遠い存在である。・・・」
 「・・・他の芸術分野には何かしら西洋文明からのものを接ぎ木する台のようなものが
     江戸時代までに自然に出来上がっていたが、音楽には殆どそれがなかったといって
     よい。・・・」

 「・・・若い音楽家達は、西洋人と日本人の音楽的感性の本質的違いに漸く気づき始めている。
  ・・・これは民族の先天的素質と言うよりはむしろ後天的な要素が大きい・・・・」
 「・・・やはり根本は日本人が欧米人と西洋音楽の才能で競い合い、相手に優越することが
     未だに一般の人にはごく特殊なめづらしいことと見られている・・・
     その原因の一つは、日本では洋楽というものが何か西洋文明の学問や技術と同類のものと
     考えられ、勤勉に学習し、努力を重ねれば誰でも専門家になりうる芸が身に付くもので
     あると誤解されているふしがある。・・・・」

 「・・・プロの洋楽はプロの邦楽と同じく芸である。学問や教養でなく、技術でさえもなく
     芸そのものである。   
     生まれつき才能を持った人間がよい師につき、勤勉と努力を怠らない場合にのみ、
     本当のプロの音楽家が生まれる。・・・
  ・・・(アマチュアのコンクールによる技量の競いと)音楽のアマチュアが心から音楽を
     楽しむこととは本来別である。   
  ・・・アマチュア音楽は、もっと自然体でありたいものだ。ともかく音楽は本来個人で
     楽しむものであろう。
  ・・・自分と他人とのコミュニケーション、あるいはコミュニティの中にあるという実感を
     音楽によって確保することがアンサンブルの起源といってもよかろう。・・・」

2.明治以降の洋楽の流れ

 「・・・強力に洋楽を輸入し定着させようとする力が・・・今日に至る(各種学校)音楽教育
     まで一貫している・・・(一方で)「小学唱歌、校門を出ず」が実態である。・・・」
 「・・・洋楽は日本ではいつまでも洋楽であるという継子扱い的な地位から脱することは
     ないだろう。・・・洋楽はいつまでも異国の洋楽であり続けるであろう。・・・」

 音楽は、何も洋楽だけではない。生活の場の周辺には日本ほど多種多様な音の世界が展開して
いる国はないということです。
  島国は文化の吹き溜まりで、雅楽、平家琵琶、能楽、近世邦楽、洋楽とどんどん種類は増え、
重層的に溜まるばかりです。
 次に示された柴田氏の日本音楽世界環境の分類例が、興味ある解説です。

3.日本の教育音楽

 「・・・よりよい学校生活への現実的な様々な手段の裏付けに音楽を使う、・・・・
     それはいわば効用音楽論であり、・・・今日の学校音楽のあり方としては・・・むしろ
     好ましい。・・・」
 「・・・(これまで明治以来の)初等教育と中等教育を通じて扱われてきた西洋音楽(一辺倒の教育)
     というものは、実社会との関わりを殆ど持ち得ない。」「学校と実社会が必ずしも
     直結せねばならぬ理由はないが、学校音楽の遊離はひどすぎるものである。
  ・・・地域社会に存在する音楽からも、職場での音楽の楽しみからも、音楽の専門家の
     世界ともかけ離れたところに一つの別世界が形成されている事こそ、日本の教育音楽の
     一大特色と言える・・・」

 「・・・全く自由な感性的表現ということも一つの出発点になるだろう・・・」
 「・・・言語表現の音楽的要素と言うより音韻的要素を採り上げるだけでも無限の教材がで上がる
     だろう、
  ・・・日本語は平均律や五線譜やドレミファとは本来無関係であり、・・・
  ・・・日本では日本人が日本語を捨てない限り、完全四度の核音の連鎖からなる特有の日本の
     音組織が基礎になって残るに違いない。・・・
  ・・・楽器を自分たちで工夫して作る、ということもよいだろう。・・・」

 「・・・今日のようにテレビやラジオ、レコードが普及してしまうと、青少年はこうした
     マス・メディアから西洋音楽を絶えず浴びるように受け取っている。
  ・・・子供達が学校で西洋の音感覚を教わるよりは、学校外で伝統的な民俗芸能の音感覚を
     身につけることの方がずっと意味のあること・・・」   


         **********  筆者のコメント   *********

 学校が週休二日制を導入するのは、生徒側からすればこれまで学校では教えてくれなかったことを、
教える先生側からすれば教えられなかった教育課題(幅広く社会を見る機会を与えるような
カリキュラム)を社会全体で教えていく時間に割り当て、そのかわり、学校での音楽の時間、
少なくとも、西洋音楽一辺倒は、やめるべきではないか。

 土曜日は、芸術教育環境提供日にして、地域を挙げて何らかの音楽世界を含めた芸術世界を
子供に提供する、極端に言うならば、街角の大道芸人術、カラオケ大会、演歌、民謡、声明、漫才、
落語、文楽、浄瑠璃、能、狂言など何でもありとする。
 
 あるいは、学校に音楽の時間割を残すならば、前述の「柴田チャート」上にあるようなあらゆる
音楽様式を提示し、それらから選択させるべきではないか。

 音楽本来の効用である、自ら楽しめて、かつ日本国民の一員として自覚が芽生えるものであれば
言うこと無しであるが。
 一度に正解は出ないから、何十年に渡って試行錯誤を繰り返してみるしかないでしょう。

4.輸入と創造

  「・・・1549年に日本に西洋先進諸国のキリスト教音楽が、
     1880年頃から国立の機関で組織的に学び始め、
     1950年頃から独自の音楽様式を産み始めた。
     これはやがて、数世紀後にある安定した様式としての一つの完成点に達するであろう。
  ・・・今は世界音楽と言うべき新しい様式探求の旅に出発したばかり・・・」
 「・・・西洋の多声音楽の作曲様式は、ほぼ200年ごとに更新されてきた。・・・」
     
     (註)1150〜1350:中世の多声楽
        1350〜1550:ルネッサンスの多声音楽
        1550〜1750:バロック音楽
        1750〜1950:古典派、ロマン派以降の音楽

 「・・・世界音楽と呼べるような形でほぼ共通な時代様式によりながら、日本は日本の、・・・・
     固有の音楽形式を色濃く出していく、・・・
  ・・・この停滞の時期が我々にとっては外来音楽の受け入れ方を反省する機会に、
     必ずやなるであろう、・・・」

 「・・・西洋音楽の基本にある音響物理学的な合理性は、今やヨーロッパを中心とした
     地球上にその波紋を広げつつあり、今や我々もその波の洗礼を受けつつある・・・
 「・・・各国の伝統的なポピュラーソングと西洋音楽との妥協が行われ、新たに生まれた歌謡を
     民族楽器より遥に能率的な洋楽器で伴奏するようになる・・・」
 「・・・こうした大衆嗜好の最大公約数としての歌謡曲が将来とも一種の核となり、他方の極には、
     いわゆる芸術音楽が同じように世界的に共通の時代様式を取りつつ、しかもどちらも
     民族的な特色を失わず、むしろ今日よりもローカル色を一層深めながら、日々新たに
     作られていくというのが、将来の音楽世界の姿であろう・・・」

 「・・・日本の音楽様式にある種の統一と落ち着きが現れるのは21〜22世紀を待たねば
     ならないであろう・・・」
 

平成14年2月20日  ***編集責任・錦生如雪***


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