
選曲コーナー(参考情報欄)
団伊玖磨「私の日本音楽史」
1.<異文化との出会い>
異文化としての西洋音楽を見る場合、日本人の音楽に対する民族的特徴を次のように述べています。
これまで日本民族が外来音楽という異文化に接した大きな節目は次の三時点です。
(1)仏教伝来時のアジア大陸の音楽(三韓楽、伎楽、唐楽)(6〜8世紀)
(2)キリスト教伝来時のキリスト教音楽(16世紀後半)
(3)明治維新開国時の西欧音楽(19世紀後半)
いずれの出会いにおいても、日本民族はそれぞれに要領よくその文化の本質に迫り、自らに適した
方法と範囲を摂取しました。
「・・・・音楽でも技術でも、新しい方法論を咀嚼し、自ら発信を開始するまでには時間が
かかります。それを当時のように情報の伝わる速度もごく遅く限られていた時代にたかだか
100年程度で自分のものにしてしまった。この外来の物に対する感性の良さ、鋭い理解力と
咀嚼力の高さは、音楽もその一つに過ぎないとしても、日本人のが以来文化に対する特徴と
考えてよい・・・」
2.<キリスト教音楽>
キリスト教と表裏一体のキリスト教音楽については、日本人は吸収しませんでした。
「・・・宗教とは人の「魂」の問題ですから、個人から個人へと伝わっていくもので、それは
どうしても時間がかかる・・・」ことにもよります。
19世紀後半以降の世代の日本民族にとって不幸であったのは、丁度江戸期の鎖国時代(17世紀
〜19世紀)が西欧音楽世界の一代飛躍の時期に相当することです。
もっとも、その間に日本独自の音楽世界も熟成することが出来ましたが。
このことは西洋音楽歴と日本の歴史を対比した次の「団年表」によって明白です。
この270年間をその後の130年間で一生懸命に追いかけてきたのが、明治維新以来の
日本音楽の世界と言い換えることが出来るかも知れません。
3.<日本音楽と西洋音楽の違い>
「・・・日本音楽と西洋音楽の違いは楽器や音階などの違いを越えて、それぞれの感性の
あり方や思想の本質に根ざす違い・・」としています。
その相違とは、西洋音楽においては、
「・・・厳格な一神教であるキリスト教が成立して以降、その信仰が人々の共通の基盤と
なったため、音楽もまたキリスト教徒不可分のものとなり・・・、絶対的な信仰を人々が共有する
限りにおいては、どのような音楽であれ、それは神と結びついている、・・・」という
「・・・音楽の相対的自立が始まり・・・・」「・・・音楽はそれ自体として、存在し得る
ようになったのです。」
それに対して日本音楽は、
「・・・何ものかに対する交流と奉仕という漠然とした性格だけが継承されて・・・」
「・・・言葉(註・物語絵巻や平家物語など)=詩歌・文学が奉仕の対象となりました・・・」
即ち日本では音楽はそれ自体で存在しない補助的な立場に追いやられてしまったのです。
この相違の根底には「具体的なものにつくという日本人の特性、・・・抽象的な概念は苦手で、
目に見える具体的なものを求める日本人。」にあると意味付けています。
**** 筆者コメント ****
この日本人の特性の具体的な例として団氏は、2例挙げています。
(その1)民族的大叙情詩「万葉集」の構成
万葉集の歌の対象はあくまでも、「寄物陳思」「比喩歌」であって、概念のみを述べない
ところにあるとしています。
(その2)現代の日本人の例として、公園の女性裸像彫刻の題が「希望」と付けられたことに対して、
何のつながりもないと反応してしまう日本人が多いことを指摘しています。
「自由」「権利」「義務」などといった目に見えない概念に明治維新の人々が理解と活用に
苦慮したことが分かります。
遡って、仏教にまで言及するならば「色即是空、空即是色」などと、古来先祖から解った様な
つもりで言い習わされてきましたが、果たして本当に何人の人が「色」とは「空」とはと、理解して
いるのでしょうか。
(そういう筆者は、仏教の何たるかを分かっていないと言われればそれまでですが)
以上の相違を「・・・西洋音楽は、音楽それ自体を追求するという自立化の歩みを通じて確固たる
「肉体」をうち立てた。一方、日本音楽は、言葉=文学の補助手段として自立しないままに、
ひたすらにジャンルを広げることを通じて、肉体がまるで見えないまで「着膨れ」してしまった・・・」
とまとめておられます。
4.<西洋音楽への追従>
日本人の西洋音楽への追従は歌う音楽世界を体得させられた「学校教育の唱歌」と器楽発展に
寄与した「軍楽隊」で実行してゆき、「・・・明治維新から太平洋戦争までの約70年間に日本は
西洋音楽をそれなりの形でひとまず受容した・・・」と考え、「異文化の受容の果てに、これに限りなく
同化しつつ、しかし一方では日本の音楽文化も辛うじて残っているーこれが現代日本の音楽のもっとも
本質的な姿」と結論しています。
また戦後の音楽については昭和40年代までを「求心期」、その後を「拡散期」と区分し、
前半は、各種各分野での音楽が多様な展開を見せながら、普遍的な音楽を追究した時期で、
後半は様々に分化した音楽が様々な個々の分化した聞き手に享受される時期です。この動きを
「・・・感性の多様化と捕らえるか、感覚の無秩序な開放と捕らえるかによって、現状認識も
将来の予測も変わってくる・・・・」ととらえています。
5.<日本音楽界の将来像>
「・・・クラシック音楽の分野では、新しい音楽の可能性を求めて思考を始めたはずの現代音楽が、
”先鋭さとオリジナリティ”という規範に逆にからめ取られてオリジナリティを失いかけている・・・」
と見なしています。
また、日本人の音楽世界の未来予想として
「・・・現在の音楽の細分化・個別化は極限まで進むだろう。・・・その行き着いたところに
新しい一つの大きな音楽が生まれてくる」と読んでおられます。
その過程の動向として、日本人が初めて異文化に出会ったときに示した
「・・・常に敏感に反応し、咀嚼して、すぐに自分のものを作ろうとしてきました。・・・・
そのような努力をすることにおいては、例えコンピュータとインターネットの時代になっても
変わらないでしょう。」という結論をおいておられます。
********* 筆者のコメント *********
西洋音楽の「受容」から「同化」へという問題について、さらに追求して行きますと、日本民族の
音楽に対する基本的考え方がどこにあるかということになります。
西洋音楽の認識が、実感として「独立した一つの文化形態」とならない限り、日本に於ける
音楽世界にドラスティックな変化は期待できないと言うことでしょうか。
未だに、西欧の物理学、工学、医学の一つとしての「音楽」ではなくて「音学」と見ているふしが
あります。「音学」という「技術」を習得して、西欧に「追いつき追い越せ」と、まだ頑張っているの
でしょうか。
西欧の「音楽」は追い越すものでも、「同化」するものでもないのですが、明治以来の何でも西欧に
基準をおいて、物事を「判断」「処理」する癖がこの130年で身に付いてしまったのでしょうか。
例え際限なく「同化」したところで、日本民族の独自の文化がより高いレベルに向上するものでも
ないのです。完璧な「同化」のあとに何があるかと問われても答えはありません。
これを理解しないと、いつまで経っても「遅れた日本の音楽事情」という批判の声を出させる
ことになります。日本の音楽は、遅れることも進むこともない、実態が日本の音楽なのですから、
比較するものがないはずです。この批判の声は、やはり、「西欧音楽だけが音楽」と見ているふしが
あります。
「まだ百年前のロマン派西欧音楽世界を唯一絶対の音楽世界と思っている」と発言して、自分は
進んでいると思っている偏屈な音楽偏狂者は、それがその人の音楽と言うだけのことです。
百年前のロマン派のいわゆるクラシック音楽を今でも享受し、享楽していること自体はずかしい
ことでもなんでもないのです。それが日本民族の音楽世界の現状と思えばいい訳です。
音楽に「絶対」は、ありません。アフリカの未開民族による太鼓だけの踊り音楽と電子音楽で、
どちらが正しくて、どちらが間違っている、どちらが優れていて、どちらが劣っている、などと
批判できません。
それぞれの人が、それぞれの音楽を、本来の音楽の目的通り自らが楽しんでいるのです。
6.<団氏の音楽宣言>
「筆者にとっての音楽」と題して、次のように、本の締めくくりをされていますが、
当該ホームページの筆者も大賛成の表明です。
「・・・音楽は、一つの愉楽に過ぎません。しかし人間が心の深いところで
求めている愉楽であると思います。
・・・そのような人の心にこたえ、喜んでもらえるような、幸せになって
もらえるような曲を作りたいと・・」
「・・・聞き手のことを考えずに書かれた”実験的”な作品などは全く認めません。
また怜悧な音楽や壮絶な音楽も共感しますが、音楽には何より基本的に
暖かさが必要だ・・・」
平成14年2月20日 ***編集責任・錦生如雪***
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